原宿の歴史

TOP > 原宿の歴史

原宿と呼ばれるようになったのは江戸時代の初期から

江戸時代初期,この付近を千駄ヶ原と称し,かつて相模国から奥州へ行くための鎌倉街道の宿駅があったことから原宿といった地名が起こったといわれる。江戸時代は武家屋敷や寺院が並び,明治時代は華族の屋敷が多かった。1906年(明治39年)の山手線延伸により原宿駅 が開業、1919年(大正8年)には明治神宮創建に合わせて表参道が整備された。終戦後は接収された代々木錬兵場跡地に米空軍の兵舎「ワシントンハイツ」が建設され、表参道沿いにはキディランド、オリエンタルバザー、富士鳥居といった米軍将兵とその家族向けの店が営業を始めるようになった。

明治神宮

大正9年に創建された明治神宮

1960年代ごろから、若者が集まる街へ発展

1964年(昭和39年)には近隣の代々木体育館などを会場として東京オリンピックが開催。ワシントンハイツの場所に選手村が建設され、外国文化の洗礼を受けた若者たちによって「原宿族」が出現した。1966年(昭和41年)には原宿地区初の本格的ブティックである、マドモアゼルノンノンが開店し、モダンな喫茶店やアクセサリー店なども相次いで開店するように。1972年に地下鉄・明治神宮前駅が開業、1973年のパレフランス、1978年のラフォーレ原宿のオープンや、創刊されたばかりのファッション雑誌「アンアン」や「non-no」により原宿が紹介され、アンノン族が街を闊歩、原宿はファッションの中心地として全国的な名声を手に入れた。

ラフォーレ原宿

1978年に誕生したラフォーレ原宿

80年代には”竹の子族””ホコ天”といった言葉も生まれ、流行の発信地に

80年代前半、原宿の歩行者天国で独特の派手なファッションでステップダンスを踊る「竹の子族」と呼ばれる若者であふれかえった。竹の子族の由来は、竹下通りにあるブティック竹の子で購入した服を着て踊っていたことが由来の一つと言われている。1978年(昭和53年)にはラフォーレ原宿開業し、この頃になると原宿はファッション・アパレルの中心として広く知られるようになり、流行の発信地になった。

竹の子族

歩行者天国では竹の子族であふれかえった

90年代以降、”ウラハラ”””表参道ヒルズ”などが誕生、洗練されカルチャーの中心に

1990年代には表参道に海外有名ファッションブランドの旗艦店が続々とオープン。そのかたわら、NIGOが神宮前四丁目にBAPEをオープンさせる。その界隈やキャットストリートには新たなファッショントレンドの店が並び、「裏原宿(ウラハラ)」と呼ばれる一角が形成された。2006年(平成18年)には表参道ヒルズがオープンし、2008年(平成20年)には東京メトロ副都心線が開業。ハワイ生まれパンケーキやフレイバーポップコーン、クレープといったスイーツ店に行列ができ、低価格帯の雑貨店が続々誕生。これからもますます賑わいをみせると予想される。

表参道ヒルズ

2006年に誕生した表参道ヒルズ

ページトップへ戻る